復活したカルト映画「鉄男 THE BULLET MAN」を見よ!

伝説の映画「鉄男」を知っていますか?

とうとう、この映画がNetflixで配信されてしまいました。

とにかくサイケデリック。とにかくパンク。とにかくぶっ飛んでいる。問答無用で脳みそを溶かしにかかる日本カルト映画の金字塔、それが「鉄男」です。

その「鉄男」を手がけた塚本晋也監督が18年ぶりに製作したのが「鉄男 THE BULLET MAN」です。

鉄男というタイトルの通り、主人公はシリーズ共通して鉄人間です。鉄化してしまうキッカケは作品ごとに異なりますが、そもそも人間が鉄に侵されていくという発想自体ぶっ飛んでますよね。機械的かつおぞましい鉄が体を蝕む映像は、見ているだけで自分の精神までも鉄が蔓延るような感覚に陥ります。

何を食べて育ったらそんな事を思いつくのでしょうか。塚本晋也監督、恐るべしです。

「鉄男 THE BULLET MAN」が訴える愛と憎しみ

鉄男シリーズは、総じて不器用な映画です。スチームパンクの映像美と、独特なカット割りで観客を煙に巻き本質から目を逸らそうとします。

シリーズに共通するテーマは復讐ですが、取り分け「鉄男 THE BULLET MAN」はダイレクトに訴えかけてきます。息子を失った主人公のエリックは、心神喪失の中で命を狙われます。そして徐々に明らかとなる自分の出生と肉体の秘密。今回の鉄男は生まれながらにして、鉄となる運命を背負う悲劇の男性なのです。

何故復讐劇を鉄になぞらえているのでしょうか?これは塚本監督の哲学というか、美学に基づいているものと言われています。考察や解説を見ると人間の根源がどうとか戦争がどうとか話が飛躍しているようですが、私の見解は少し違います。

鉄っていうのは、強固ですよね。しかし熱を帯びると、ドロドロに溶けてしまいます。これがこの作品の面白いとことで「怒り」という熱い感情を持てば持つほど、主人公の鉄化がより進行していきます。

そう、逆なんです。感情の起伏を熱に例えるなら、鉄はむしろ怒りのボルテージが上がるほど溶解していかなければなりません。なぜ、このような設定にしたのでしょうか。

思うに人の愛情や憎悪は鉄のような無機質なものではなく、人間の心が通った生の証。でも鉄のような強固さがなければ大切な人を守ることも、何かを成し遂げることもできません。

では、いっそ鉄になったらどうか?鉄によって固く閉ざされた心は自身を、そして大切な人を傷つけかねない諸刃の剣です。人間の根源である感情は、常に揺れ動く方が健全だと思います。誰かを思いやる気持ちも、誰かを傷つける気持ちも鉄のような性質ではいけません。熱を帯びた感情を否定せず、受け入れることも大切なのではないでしょうか。

あなたは鉄男をどう見る?

私がそういう風に「鉄男 THE BULLET MAN」を捉えたというだけであって、実際のところは別の方向に意図があるのかもしれません。難解な映画ですし、もしかしたら単に鉄になるというインパクトを出したかっただけで映画を作ったとも取れます。

サイバーパンクな映像と、それを盛り上げる石川忠氏の音楽だけでも一見の価値があるので興味があれば見て欲しい作品の一つです。本当は第1作の「鉄男」から見てもらえるのが一番ですが、残念ながらNetflixで配信していません。その日を待つか、TSUTAYAで借りてください。「鉄男2」も然りです。見終わったらNetflixで最新作をご覧ください。

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