名作「羅生門」はニュートラルな目線で見たい!

名作というフィルター

黒澤明監督と三船敏郎のコンビ、と聞くだけで「この映画は名作だ」という先入観が生まれてしまうのを非常に残念に思います。

名作というフィルターがかかるだけで一つ一つのシーンに何か意味を見つけ、自分が何か高尚なものに触れているような錯覚を覚えてしまう人は多いのではないでしょうか。

世界で認められた名作を否定することが憚られるし、自然と自分の価値観が主軸に置けなくなり「面白い、この作品はすごい」という本流に乗っかってしまうのです。

反面、人間は主観的なエゴイズムで「自分の目にはこう映る→これが真実だ」と臆面もなく主張することがあります。

社会的な自分と自己肯定に走る自分。前者は人格形成の過程で育まれ、後者は先天的に生物が持つ生存本能にも似た本質です。

黒澤明の描いた「羅生門」は人間の持つエゴイズムに焦点は当てた傑作といえるでしょう。

黒澤明のダイレクトメッセージ

と、回りくどい話はここまで。

たまにはライターっぽいこと書いてみるのもいいもんですね。

私がそれっぽい単語を並べて、読者のあくびを誘うような作品の持つメッセージを「羅生門」簡潔にまとめてあります。

人間は嘘つきで傲慢だ。自分を守るためなら他人を傷つけたり、騙したりすることも厭わない。でも人間には希望もある。他人を思いやる心。その二面性こそ、人間が人間たる所以だ。希望を捨てるな。

芸術性が高く、社会派な作風で知られる羅生門ですが恐らく誰が見ても黒澤明の言わんとしていることを汲み取れるようになっています。

これがすごい。当たり前ですが、上っ面だけの私の表現力なんて足元にも及びません。

ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、海外で評価を得たのも納得。黒澤明が作る映画は疑問」を残さず、綺麗に答えを提示して終わるのが特徴です。

映画の中で全ての物語を完結させています。

何度か見返さなければいけない、ということが一切ありません。羅生門のように何度も見返したくなる作品ばかりです。七人の侍が一番わかりやすいと思いますが、見た後ちゃんとスッキリするんですよね。それでいて心に残っちゃうんだよな〜。

本当、人間って面白い

羅生門以降、黒澤明は娯楽映画に傾倒していくことになります。しかし羅生門の時点で、かなり見やすい作品になっているんですよね。

一つは三船敏郎の存在が大きいと思います。ミフネなくしてクロサワなし、とまで言われた黄金コンビです。三船敏郎演じる多襄丸が情感溢れていて、ぐいぐい引き込まれるんですよ。まさに男が憧れる偉丈夫。

しかし公開当時、日本では「難解な作品だ」といって受け入れられなかったそうです。

もしかしたら私もリアルタイムで観ていたら「わけわからん」とか言って、一蹴してしまったかもしれませんね。しかし海外で有名な賞を受賞すると、日本人は手のひらを返して羅生門を絶賛したそうです。

黒澤明監督も「まさに羅生門の映画そのものだ」と、この一連の流れをぼやきました。

いやはや、こうやってレビューを書いていることすら段々恥ずかしくなってきますね。まるで映画に自分を見透かされているようです。

いろんなレビューがネットで氾濫している今の時代、ニュートラルな目線で映画を楽しんでみたいものですね。

羅生門はNetflixで配信中。

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