秋の夜長に静かな映画「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」

スカーレット・ヨハンソンが脱ぎまくる!喰いまくる!

2000年代、その類稀なる演技力で世界中を驚かせたスカーレット・ヨハンソン。彼女も齢30を迎え、円熟味が増してきましたね。

そんなスカーレットが映画「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」で、脱ぎまくり。比喩表現とかではなく、もう映画の冒頭から脱いで脱いで脱ぎ放題です。公開は2013年だったので、まだ20代のスカーレットのあられもない姿が拝めます。

ただし、無意味に裸を晒すだけな頭の弱いラブコメなんかではありません。むしろ対極に位置するSFスリラーで、文学的な演出と映像効果のせいで全編かなり抒情詩的な雰囲気が流れています。

スカーレットの役所はなんと地球外生命体。しかも人間を捕食する人喰いエイリアンです。しかも、その捕食方法がなかなか芸術的。巧みに男を誘い出し、いざベッドインの段階になると男は黒い沼のようなところに沈み皮膚だけのペラペラ状態になってしまいます。

最初は新鮮で引き込まれるシーンだったのですが、これが映画の大半を占めるとなると中々退屈でしょうがありません。セリフも少なく、地味な部類の映画に入るでしょう。

これはハズレかな?と思ったのですが、物語の途中でスカーレットに変化が生じると、一気に物語の深みが増しました。

その変化とは、スカーレットが捕食を止めたことです。

エイリアンの目的は捕食じゃない!?

エイリアンが捕食をする際、必ず男性を自宅に誘います。中に入ると画面が切り替わり、セクシーなスカーレットが淫らな表情で男を魅了。そのまま男は沼へと沈んでいきます。

この沼、一体なんなんでしょうか。本来捕食というのは、経口というのが一般的です。哺乳類はもちろん、動植物のほとんどは口から食物を取り入れます。

地球外生命体にこんな一般論をぶつけても通用しないかもしれませんが、この方法はある問題があります。

それは捕食を室内で行わなければならない、ということです。液状の溜まりに誘うのですから、野外ではまず不可能だと思います。仮に室内でないとするのなら、何か穴のようなものを掘りそこを沼地にするほかありません。

これは仮説なのですが、実は黒い沼は栄養を摂取するものではなく人間を動力エネルギーに変換して何処かへ送り出しているのではないでしょうか。

物語の終盤、スカーレットは捕食を止め普通の人間として振る舞うようになります。

その過程で人間のような食事を摂るシーンがありましたが、彼女の体は受け付けませんでした。だからと言って飢えに苦しむような描写はなく、禁断症状も見受けられません。

彼女が食事を摂ろうとしたのは、あくまで人間らしくしたいと願った結果の行動です。その証拠に、男性との性行為に臨む意思も見受けられました。これも性欲というよりは、人間的(生物的)な目覚めを意味します。

エイリアン自身は食事を摂らなくとも活動することができ、何か意思のようなもので人間を取り込むよう突き動かされているのです。スカーレットは、そこから独立を図った変異種なんだと思います。

ただ恐怖の対象として映画のシンボルとなっているエイリアンに新しい解釈が盛り込まれているのだと気付いた時、静寂が支配するシーンの連続に生命の鼓動が吹き込まれたような気がしました。

 

あなただけの「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」

映画の大半は男を誘惑→捕食を繰り返すだけで、かなり地味な構成です。正直言って、盛り上がりにかけると言わざるを得ません。セリフも少なく、娯楽要素は皆無と言っていいでしょう。

それでも先に述べたように、スカーレットの機微を元に考察をしていくと興味深いストーリーだと思えてくるから不思議です。

私の考察は決して公式で明言されたものではありません。もしかしたら、全く頓珍漢なことを並べている可能性もあります。単にスカーレット・ヨハンソンのセクシーシーン集のつもりで撮影した、と言われても納得できますからね。

いろいろな解釈を含む映画なので、ぜひ自分だけの解釈を見つけてみてください。秋の夜長、時間をかけてたっぷり楽しめます。

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