実は身近な文学の世界
「古典文学」というワードだけで総毛立ち、嘔吐めまいに苛まれ、五臓六腑が破裂しそうになる当ブログ読者の皆様、こんにちは。
なにやら小難しそうで退屈なイメージが付き纏いますが、まさにおっしゃる通り。訳のわからん御託を並びたてて、さも高尚に見せかけるのが古典文学の常套手段です。
しかし実際紐解いてみると我々の生活に深く密接し、現代人の心の機微を生き写した描写に気がつくと思います。
ただいきなり古典文学に手を出そうとしても敷居が高く、何から手をつけていいのかサッパリですよね。
現在Netflixでは作家フランツ・カフカの代表短編小説「田舎医者」のアニメが公開されています。独創的な作品群同様、アニメもちょっと万人ウケしないタッチですが、たった30分程度なので覗いてみてください。
そしてご覧になった方はこう思うはずです。
「わけわからん」
というわけで、カフカの田舎医者を理解して楽しめるように僭越ながら解説させていただきます。
田舎医者の言いたかったこと
田舎医者のストーリーをざっくり箇条書きすると以下の通りです。
- 離れた村の重病人のところへ診察に行きたいけど馬がない
- 突如自宅の豚小屋から馬が現れ、馬丁(馬を世話する人)が馬車を用意する
- 馬丁は女中に気があり、それを察した田舎医者が一緒に行くよう促すも拒否。田舎医者を乗せた馬車は走り出してしまう
- 村へ着き重病人を診ると、腰のあたりに大きな傷口が見つかる
- これは手に負えないと諦めたところ、家族たちは「使えねぇポンコツ、脱げや」など非難轟々
- 田舎医者は少年に言い訳して逃げるように馬を走らせエンディングへ
はい、もう展開が怒涛すぎて視聴者置いてきぼりです。この30分間で果たして何を伝えたかったのか、早速解説していきましょう。
端的に言ってしまえば、
「女中のことが心配でならない田舎医者の葛藤、自責」という何とも医者らしくない悩みを綴っただけの内容
です。
これはカフカ自身の精神が色濃く反映されており
婚約したけど自分の時間がなくなっちゃうな。ただ小説書いてるなんて世に知れたら恥ずかしい!この際だからきっぱり止め…いやいやいや、やっぱり書きたいから婚約破棄!ハァ、孤独だ
という彼の生涯そのままが描かれています。
求めすぎるあまり何かを失い、そして失うことに恐怖していたカフカという人物を少し幻想的に表現しているのが「田舎医者」です。
田舎医者は最後「騙された。嘘の呼び出しなんかに付き合っていたら取り返しのつかないことになるんだよ」とぼやいています。自分を偽り続けることの愚かさと、結果的に大切なものが手から零れてしまう滑稽さを嘲っているんですね。
田舎医者を現代風に改めると、デビューを夢見る臆病なミュージシャンといったところでしょうか。デビューするために自分の彼女を事務所の社長に差し出し、いざライブになったけど「でも彼女のことが心配だし、そもそも俺人前で歌うの恥ずかしいし」と言い訳して帰る感じです。
どうです?こうやって見ると、すごく親近感が湧きませんか?
間口の広いカフカ作品
カフカの作品は映画化、舞台化、アニメ化、絵本化ととにかく小説以外で目にする機会がとても多いです。数多くの文化人に愛され、世に送り出し色々な人の目に触れてもらいたいということなんでしょう。
ただ他の文学作品同様、現代の日本ではあまり親しまれていないですよね。
カフカの小説は普遍的な個人の葛藤を幻想的に描くという手法が取られており、現代人が読むと共通点が多いという特徴があります。読むと100年以上前から同じこと悩んでいたんだな、って思わず笑ってしまいますよ。
小説のページを捲るのが怠い方は、ひとまずアニメから入ってみるのもいいんじゃないでしょうか。
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