もし、あなたの人生がすべて作り物だったとしたら? オリジナリティあふれる大傑作『トゥルーマン・ショー』

世界を小さな鮭缶の中に閉じ込めるなんて、マジシャンのコッパ―フィールドを担ぎだしてもできないような、夢のような荒業が、果たして現実にできるものでしょうか?

その昔、『老人力』というベストセラーの著者でもある赤瀬川原平という前衛芸術家が、それをやってのけ、なるほどと思ったことがあります。

鮭缶をおもむろに箸で平らげたのち、缶をきれいに洗って、外の紙のラベルを丁寧にはがし(昔は紙が貼ってありました)、そのラベルを裏返しにして、継ぎ目も糊できれいに接着して缶の内側にきれいに貼って、缶の蓋を閉じれば、これで完成です。

今まで缶を「外側から」見ていた自分が缶を閉じたことによって、今度は世界が缶の「内側に」封印させられるという逆転の発想です。

くだらないと思うかもしれませんが、これがオノ・ヨーコなんかがさかんにやっていたコンセプト・アート、つまり、発想転換の芸術です。この手の芸術には、ジョン・レノンもすっかりやられて、オノ・ヨーコのとりこになってしまったのは、ご存知の通りです。

さて、「あなたの人生がすべて作り物だったら?」 そんな通常のコンセプトをひっくり返すようなアート、あるいは、だまし絵のような映画が98年のジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』なのです。

判で押したような毎日を送る主人公

主人公のトゥルーマン・バーバンクは、シーヘブンという離れ島で保険会社のセールスマンとして毎日判で押したような毎日を送っていました。名前からして、すでにアイロニー(皮肉)が入ってます。

テレビ局など芸能大手が固まっているロサンゼルスのバーバンクが苗字には匂わせてあるし、トゥルーマンは「真実の人」と解釈できます。

しかし、現実はそのまったく正反対で、彼の生活、人生はおおよそ35年間というもの『トゥルーマン・ショー』というリアリティ番組としてテレビに撮影され、全世界220か国に配信されていたのです。つまり、彼の生活はちっとも「真実の」生活ではないわけです。

万里の長城級の巨大なセット

彼の住む町そのものが万里の長城にも匹敵するような巨大なドームの中に作られたセットであり、そこに住むトゥルーマンを囲む人たちはすべて役者であるという念の入れようなのです。

したがって、親友も奥さんも全部、演技者であり、それを知らされていないのはトゥルーマン当人ただ一人なのです。

設定が大胆不敵で示唆的ですよね。そんなことありえないと思っても、ついつい「こんなことがほんとだとしたら、自分だったらどうするだろう?」とwhat ifの着想にいつのまに呑みこまれてしまいます。

ただ、トゥルーマン自身もその町の世界のわざとらしさに薄々気づくようになります。

それが決定的となったのは、いつものように会社に向かった時、KIOSKで新聞を買った折に、ホームレスの老人を見かけるのですが、それが死んだはずの父親だったのです。

「嵐が来るから海に出るのはやめたほうがいい」という自分の警告を無視して、父親は船を出し、それがきっかけで父親は水死したはず。そんな父親の姿をつい見かけてしまったのです。自分の父親を見間違う人はいません。しかも、トゥルーマンはそれが原因で水恐怖症というトラウマを持つようになりました。

まるで陸上恐怖症のため船から降りられなくなった天才ピアニストの『海の上のピアニスト』のようにです。

奥さんもニセモノだったとは?!

 しかも、トゥルーマンが父親だと思った人物は、それを汐に、何者かによって連れ去られてしまいます。あまりにも不自然な出来事です。

さて、そんなお話がその後どんなふうに展開するかは、Netflixでじっくり観ていただくとして、みなさんにぜひ見てもらいたいシーンがあるのです。

それは、トゥルーマンの結婚した奥さんが役者であることにトゥルーマンが気づくシーンです。大切な奥さんですら、ニセモノだったのかとトゥルーマンは大ショックです。

夫婦でまったりソファーの上で懐かしい結婚式のアルバムを見ているシーンがあるのですが、トゥルーマンはある写真の中の幸せの絶頂にあるはずの奥さんの仕草を見て、彼女がニセモノだと気づくのです。

字幕というのは黒子である立場上解説はつけられません。しかし、トゥルーマンは写真に写っている奥さんがこっそり中指と人差し指を重ねているのを発見して、ニセモノだと気づくのです。

不思議な仕草が雄弁に語る

しかし、どうして、中指を人差し指の上に重ねているとニセモノだと分かるのでしょうか? さっきも書いた通り、字幕は教えてくれません。その後のセリフにも一切説明はありません。

普通、中指を人差し指の上に重ねる仕草は、バースデイ・ケーキのロウソクを吹き消す前に、「願いごとをしなさいよ」と周囲に言われて、願いごとをする時に中指を人差し指の上に重ねたりします。これは、英語圏では願い事が叶いますようにというおまじないの仕草で、辞書にもそこまでの意味しか書いてありません。

しかし、子供の頃、仲間たちと遊んでいるか何かした時、こっそり相手に分からないように中指を人差し指の上に重ねる仕草をすることがあると、ネイティブから聞いたことがあります。つまり、その仕草はその子がほんとは嘘をついているという意味だというのです。「これがホントでありますように」というおまじないの仕草でもあったわけなのです。

なので、トゥルーマンは、奥さんが結婚式の記念写真で指を重ねているのを見て、この結婚は嘘の結婚、つまり、結婚と見せかけてるんだと直感するわけなのです。

一見トリヴィアなようですが、ここはとても映画の肝になる重要なシーンなので、字幕ではしっくりこなかった方もここで情報を補っていただいて、その後は安心して楽しんでいただけたると思います。

さて、この映画はその後、どんな展開を見せていくのか。それはまったく予測不能です。トゥルーマンが周囲の嘘に徐々に気づいていくそれ以降の展開はサスペンスフルですし、自分がまだ勘付いていないとまわりに悟られないように、トゥルーマンがさらに上を行く行動に出る展開も本人以上にワクワクします。

トゥルーマンの世界の蓋を開けてみよう

たとえば、トゥルーマンの奥さんがある時、不自然にあるココアの宣伝を過剰にしてしまったり、そのテレビCMの文句のようなわざとらしさにはゾッとして、あまりに身近で笑えないものがあります。

テレビのチャンネルを回すと、0120・・・番連呼のCMのような日常。そんな毎日に日々、不自然さを感じることはありませんか?

そんな日常に風穴を開けたいと思っているあなたなら、一度、トゥルーマンの世界の「缶詰の蓋」を開けてみてはいかがでしょうか?

ついでに、英語圏の奥さんか旦那さんがいる人なら、ねんのため、こっそり指を重ねていないか写真などで確かめてみることをおススメします。な、わけないか・・・