映画「告白」〜共感という感情を亡くした者たちの群像劇〜

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2010年に公開された日本アカデミー賞4冠の「告白」がNetflixで配信されています。

映像化不可能と言われていた累計250万部を超える大ベストセラー小説「告白/著・湊かなえ」を、映像美に定評のある中島哲也氏が監督・脚本。封切りと同時に日本全国へ衝撃を与えたのが記憶に新しいですね。

映画「告白」は原作のテーマを純度100%で残し、加えて音楽や映像効果を駆使した素晴らしいエンタメ作品なのは疑いようがありません。私も好きです。

しかし劇中で語られる「命の重さ」や「人のエゴ」などを互いに押し付け合う様は、あたかも登場人物が「生来は善意を持った人間たちの罪と罰」として描かれているように見えて少し違和感があります。

映画ならびに原作小説「告白」の登場人物に見られる共通点を元に、物語の核を紐解いていきましょう。

何はともあれ映画版のあらすじ

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愛娘を事故で亡くした教師、森口悠子は自分の受け持つクラスのホームルームで「私の娘は、このクラスの生徒に殺されました」と告白します。犯人は学年一の秀才である渡邉修哉と、劣等感が人一倍強い下村直樹の二人。森口は復讐と称して、二人の飲んだ牛乳にHIV患者(森口の元婚約者、桜宮正義)の血液を混入させたことを明かしました。

森口は「命の重さを噛み締めてほしい」と語り、学校を去ります。進級すると渡邉修哉はクラス内でイジメに遭い、下村直樹は恐怖から引きこもるようになりました。

事件当日、何があったのか。どんな闇を抱えていたか。事件に関わる全ての人たちの告白が始まります。

復讐劇の引き金を引いたのは誰?

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復讐劇の発端となったのは一体誰でしょうか。まず名前が挙がるのは森口の娘を殺した、もしくは原因を作った渡邉修哉と下村直樹でしょう。彼らの凶行さえ無ければ、森口悠子が復讐に走ることはありません。

しかし、そんな二人を作ったのは劇中を見ればわかるように両親です。渡邉修哉は幼い頃母親に捨てられ、父親は再婚して自分を遠ざけるようになりました。渡邉修哉は母親の愛情に飢え、彼女に振り向いてもらおうと様々な発明品を作ります。工学の分野で活躍する母に振り向いてもらうには相応の成果を出さなければならず、過激な実験を繰り返すようになり、それが結果として森口の娘を殺害する原因となりました。

下村直樹は母親に溺愛されるも、その期待に応えられない不甲斐なさから劣等感を抱いています。何かを成し遂げたことのない彼は、渡邉修哉にそそのかされ森口の娘を殺害する手伝いをし、最終的には直接その手で殺めることになりました。

この二人の未熟な少年を作ったのは、紛れもなく彼らの母親です。では彼らが真っ当に育っていれば、森口の娘が殺されるようなことはなかったのでしょうか。少し乱暴ですがこんな見方もできます。

森口は婚約者の桜宮正義がHIV感染者だったため、シングルマザーとして娘を育てていました。保育所に預けながら教壇に立つ日々の中、事件は起こります。幼い子どもへの監督不行き届きは目に見えて明らかです。保育所の管理体制も問題視されるべき点です。

また桜宮正義が自分をHIV感染者だったと知りながらも、森口との間に子どもを設けたのは倫理的に疑問が湧くでしょう。そもそも森口が復讐を始めなければ…。

森口の娘を殺害した罪の所在は明らかに渡邉修哉、下村直樹の両名にあります。が、この復讐劇の引き金を引いたとなると話は変わり、最早どこを探ればいいのかわかりません。

ここで浮かび上がるのは、登場人物たちのある共通点。その共通点とは、総じて「共感性」を欠いていることです。その傾向に差はあれど、全くもって他人のことを考えない行動や言動は病的にすら思えます。

未熟な大人と子ども

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この映画に善良人は全く登場しません。どこかしら影があり、深く根強い何かを抱えた人ばかりです。人間何かしら心に傷や重たい荷を負っているものですが、それだけでは説明できないほど異常者ばかり。サイコパスなのか、それともアスペルガー障害でも抱えているのか?と理解できる人が一人もいません。

例えば森口の後任でやってきた寺田という英語教師。一見すると昭和の臭い立ち込める熱血先生ですが、彼は森口のアドバイスを何も疑わず実行し、負の連鎖を引き起こします。森口の言うことを真に受け、生徒たち個人の感情を顧みず自分の意見を押し付ける様は発達障害者の症例そのものです。

こうして見ると、その他の登場人物も同じ傾向があります。責任を押し付け、自分が何か悪いことをしているという罪の意識が一切ありません。恐ろしすぎます。

この異常者たちの集合体とも言える「告白」をエンタメ映画に仕上げた中島監督は流石としか言いようがありません。原作よりも登場人物の背景を掘り下げ、映像効果と音楽でオブラートに包んだのが功を奏したのは火を見るより明らかです。

他人を愛することの難しさ

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「隣人を積極的にたゆまず愛するように努めなさい。その愛の事業がすすむにつれて、神の存在も自分の霊魂の不死も確信されてくるでしょう」

これはドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」から引用した一節。「告白」の登場人物全員に聞かせてあげたい名言ですね。

もし身近な人間に「積極的に」「たゆまず」「努めて」愛情を注ぐことができたなら、悲劇が起こることも連鎖することもありませんでした。

それはとても困難なことで、一朝一夕で成し得られることではありません。それでも人は愛を注ぐ時、自分勝手になってはいけない。この映画には、そんなメッセージが込められていると私は受け取りました。

映画「告白」は Netflix で公開中です。